
ジェリーです。
昨日3月19日名古屋より不足している物、乾電池やトイレットペーパー、缶詰類などなど買い込み、さいたま市の自宅に戻りました。
関東も余震や計画停電の影響でいつもとは違う雰囲気です。
ちょうどこの日、福島県双葉町から1200人の被災者が自宅近くのさいたまスーパーアリーナに集団避難してきました。
(写真はさいたまスーパーアリーナ、20日正午撮影)

今回の東北大震災、私は以前岩手県で2年半に渡り仕事をしました。沿岸部では未だ連絡の取れない知人がいます。大変心が痛いと同時に、これほどの災害が起きたことに愕然としています。
7年前、ふるさと新潟の中越で水害や地震を経験しました。その時の惨状を思い出します。今回はそれ以上です。
(写真、近隣の方々から届けられた毛布。20日撮影さいたま)

避難所となったさいたまスーパーアリーナは人でごったがえしていました。避難されて来た福島県双葉町は第一原発が設置されている方達の町。地震、津波被害以外に放射能の恐怖から逃れてきた人達です。アリーナ通路に毛布を敷き、皆さん疲れきった表情で休まれていました。ここは電源が豊富なため携帯でテレビを見たり、新聞を読んだりと地元の状況を気にする人たちが多く見られました。(写真、近隣から集められた救援物資。おむつや水が大量でした。20日撮影)

さいたまスーパーアリーナは3月31日まで避難所として使われます。その後市内の空き住宅などに被災者は移動することとなっています。
私の見た目でボランティアは500名以上と思われます。物資を配る方はもちろんのこと医師、指圧師、保育士、カウンセラーなどあらゆる人達がかけつけています。また学生ボランティアも多く見られました。19日から集められた物資はありあまるほどになりました。(写真、物資充満の告知。20日撮影)

(写真はガソリンを待つの車の列、約3キロ。20日スーパーアリーナ近くで撮影)
今回の震災でも多くを学びます。被災した人もボランティアも自衛隊も行政も一生懸命です。関東では節電が当たり前の行動となりました。多少の不便さは我慢しています。被災した人のことを思えば当然です。避難所の中でも被災者同士励まし合って生活しています。
名古屋を出る時、スーパーでトイレットペーパーや電池が買い占められているのに怒りを感じました。
今はみんなで力を合わせて困難を克服する時です。それが早い復興に必ずつながります。中越地震の時、いろんな方にお世話になりました。今は恩返しのつもりで今回の災害に対応しています。早く笑顔の生活が取り戻せることを心より祈年します。
posted by obrigado at 16:41|
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