2011年05月22日

これが現実。

ちぢです。

先週木曜日から今日(土曜日)まで、ぼんさんのお仕事お手伝いで福島県へ行ってきました。
そこで体験したことを、できるだけそのままに書かせて頂きます。
長くなりますが、これを読んで、何か感じていただけることがあればと思います。
写真無しでわかりにくいかもしれませんが、ご容赦下さい。


木曜、名古屋から福島まで、新幹線で向かいました。
震災の影響はどのあたりから感じられるのだろうかと、窓から外の景色を眺めていました。

ちょうど福島県に入ったくらいからだったと思います。
民家の屋根にブルーシートがかかった家が、少しずつ増えて行きました。
福島に到着するころには見慣れてしまうほどの数でした。

駅につき、目にする「がんばろう!福島」のノボリの多さ。
ビルに貼ってある「震災の影響により・・・」というメッセージ。
それとは真逆の、何事もなかったかのような人々の動き。
最初はこのギャップを、不思議な感覚で味わいました。

それから3日間にわたり、数件の保育園を伺いました。
そこでの体験と、聞くことができた話をいくつか。



まず、ほとんどの園では子供たちが外に出て遊んでいない。
これは、表土にたまっている放射線の影響を危惧してのことだと思います。
中学生以下は、ほとんど外に出ていなかったように思います。
また園によっては、砂場や要所要所にブルーシートがかけられていました。

「玄関と広場では、線量がだいぶ違うんだよ」
「子供たちの一番の遊び場のあの場所が、一番線量が多くて」
ここで現実を知りました。テレビでよく耳にする線量計の話を、真剣な表情で話されていました。

また、
「私たちが子供を外で遊ばれると指摘されるけど、親自身が遊ばせる分には問題ないみたい」
「明日は他県へ遠足なんですが、バスに石をぶつけられたりしないかと言われたり・・・」
「広場の表土を捨ててほしいと要望があるが、その土を処分する場所がみつからない。費用もかかる」
「園の外へ出したくない親と、出してもよい親と、両極端なんです」
と、親からの園への要望もかなり出ており、対応に追われている様子でした。

「10〜20年はこれが続くと考えてる」という先生もいらっしゃいました。
線量計を支給してもらえない園もあるようで、1個15万円もするのに実費負担で、
それでいて納期がかかる、と悩まれていました。

このような悩ましい状況の中でも、子供たちは何事もなかったかのように、園の中で楽しそうに遊んでいました。
こういう状況での一番の救いは、子供たちが無邪気に笑顔で遊んでいる姿を見ることなのかもしれないなと感じました。



さてさて。
2日目、次期仕事への下見を兼ねて、相馬市に向かいました。
ここでさらに、過酷な現実を見ることになりました。

相馬へ向かう途中に、「ボランティアの皆さん、ありがとう」というような看板が
いくつか立っており、ちょっとほっこり温かい気分になりました。

海へ近づくにつれ、地震自体の影響も大きくなっているようで、
屋根だけでなく、ガラスが全部われてしまった家、半壊状態の家もわずかにありました。


相馬の園に着きました。園長先生はとっても笑顔のすばらしい方でした。
不思議なのですが、このような状況でも、会う方会う方、みんなすばらしい笑顔でした。
その一方で、地盤沈下で使えなくなってしまった玄関。
津波を高台から眺めて助かった先生。(なんとこの先生も笑顔で応対して下さいました)
みなさん、大変な思いをされているのは聞かずともわかる状態でした。



園関係者の方に、現地を案内していただけることになりました。
その方いわく、
「冷やかしという人もいるかもしれないが、現実を見てもらうのも大事なことだと思う」
とのことでした。

少しずつ海の方へ向かい、園から2,3分車で走ったそこにまっていた光景は・・・
テレビで見て驚いてはいましたが、本当に道路に船が。

しばらく進み、ある道路を境に、田んぼ?に瓦礫が落ちていました。
その量は、海へ近づくにつれ増えていきます。
道路脇の背の低い街路樹は、塩水で枯れていました。

真っ先に案内された、「ぜひ見てほしいところがある」と言われたところ。
そこには瓦礫の山がありました。それはもう、口では言い表せない量でした。
周辺の工場地帯も、正直なにがなんだかわかりません。

「これが現実だよ」
この一言が、しっかりと心に刻みつけられました。

さらに海の方へ向かいました。
港に着いたのですが、ここになにがあったのか、よくわかりませんでした。
1階が抜けた建物や、大きなコンクリートもたくさん流されてきていました。
しばらく進み、車を止め、元は公園だったと思われるそこから見た景色は・・・

「ここには村があったんだよ」
と言われてもイメージがつかない状態です。
残っていたのは、わりと新しい家の一部だけでした。

さらに車を走らせると、津波で木々を削り取られたと思われる、
丘の断片?がずらーっと並んでいました。そして大きな橋の手前まで来ました。
「あの橋の一番上の、少し下まで津波がきたんだよ」

そこから村の中を通り、海から2〜3キロ内陸へ入ったと思うのですが、
それでも湾の中は被害が大きいようで、1階が使い物にならないような家がいくつもありました。
バスが田んぼに落ちていたりもしました。


案内して下さった方とお別れし、南相馬へ向かいました。

ここでも、相馬と同じような状態でした。
道路の状況がものすごく悪く、陥没しているところも少なくありませんでした。

ここで目にした光景が、今も頭から離れません。
ふつうに生活していたと思われる道具が、道の端にごろごろ落ちていました。
そこにはテレビや服、本などもありました。

つぶれた車がいくつも並び、元は畑だったのか家だったのかわからないような土地が広く広く、続いていました。
ここには絶対人がいたはずという形跡も、たくさん残っていました。



本当の現実を見てきて、福島市への帰り道。
ある広場で、小学校くらいの子供たちが何かしていました。
段ボールを持って、道路の方を見ていました。
「毎日毎日ありがとう」と書いてあったようです。



これらの現実を見て、何の言葉も浮ばず、理解と頭の整理ができませんでした。
つらいとか、悲しいとか、そんな言葉ではとてもとても言い表せません。

今改めて考え、何か言えるとすれば、たくさんの方に現実を見てほしい、ということです。
もちろん、ボク自身まだまだ見られていない現実がたくさんありますが。

現地には、私たちがこれから生きていく上で必要なことがたくさん眠っていると思います。
過去の戦争や災害と同じく、まずは事実を知り、忘れずに伝えていくことが必要だと思います。


最後に。
今回の旅でお話しいただいた方々、本当にありがとうございました。
被災者の方が少しでも早く幸せになれることを、こころから願っています。
子供たちも、どうか元気に大きくなって下さい。いつかどこかで会えるといいね!

今度は被災者の方のお役に立てる何かをするために、現地を訪れたいと思います。
まだまだ、やるべきことはたくさんあるはず!


posted by obrigado at 02:09| Comment(2) | TrackBack(0) | other | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本当に良い経験をされましたね。(^^)
うらやましいかぎりです。
被災していない僕は、ただただ小さな人間なんだと思わされます。

実際に目の当たりにされたことは、大きな力になるとおもいます(^^)
Posted by じーにー at 2011年05月24日 08:27
ミッチーです。

震災の被災地の様子はテレビや新聞などで見たものしか
私たちは知りません。
実際に現地の様子を目の前にして言葉にできないくらい
圧倒されたことが文章を読んで伝わってきました。

このように実際に体験した人たちの言葉がたくさんの人に
伝わっていけばいいなと思いました。

またこの経験を聞かせてくださいね。

Posted by ミッチー at 2011年05月26日 19:59
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