2010年08月23日

四国巡礼2 龍馬伝

ジェリーです。四国の旅第二弾!坂本龍馬
高知といば土佐、今年は龍馬伝が大人気ですね。高知市内は福山雅治のポスターだらけ。そんなジェリーは福山さんと同い年、何ら関係ありませんがご活躍うれしく思います。

龍馬.jpg坂本龍馬は天保6年(1835年、今から175年前)に現在の高知市、高知城の近くの商人の家に生まれました。坂本の父八平は下級武士であったが地元の豪商の分家ということもあり土地、財産の分け前も多かったといわれています。よって龍馬はリッチな家系に生まれたとも言えますね。

おかげで、早く子供のうちから剣術を学び、たびたび江戸にその剣術を含め遊学しています。江戸在中の1853年ペリー来航(浦賀は神奈川県横須賀市)の時、品川で土佐藩屋敷の守備となっています。1858年、23歳で土佐に帰着。その後は土佐藩武士としての任務を行うが、友人「武市半平太」の結成する「土佐勤王党」(※尊王攘夷が基本であり反幕府的な思想の集団)に加盟、後にこの運動が激化し龍馬も脱藩することとなりました。脱藩は罪人扱いなことから、土佐をはなれることとなります。

桂浜.jpg(写真:桂浜と私)
龍馬はテレビドラマなどでも有名なこの「桂浜」に足を運んでは海の向こうのアメリカに渡りたいと心はせた青年時代を過ごしました。
高知の人達は皆この「桂浜」が好きなんですね。前日、高知駅前の土佐料理屋で出会ったおばあちゃんは、やな事があると自転車で桂浜まで行き、海に向かって「バカヤロー」と叫んでいるそうです。

さて、龍馬は土佐を離れたのち長崎に渡り、グラバーと接見、武器の商談を行い、後に京都にて薩長同盟の斡旋の立役者となります。
この幕末の龍馬の活躍は現在ちょうど、龍馬伝でやってますね。
龍馬は最後京都で暗殺されますが、新撰組の仕業といわれていますがことの真相は賛否両論です。

海の向こうの夢を追いかけ、倒幕の影で動いた志士「坂本龍馬」当時はまったく目立つ存在ではなかったといわれています。

そんな龍馬の偉績を追いかけるファンは昭和になって急増しました。武田鉄矢のおかげかもしれません。

皆さんも一度桂浜を訪れたら、広大な海に向かって「バカヤロー」と叫んでみると日々の悩みも吹き飛ぶかもしれませんね。

ジェリーでした


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